高校1年の夏休み、

俺は両親に、自分が同性愛者だという事を告げた。

すでに、親しい友人にはカミングアウトをしていたが、

やはり、相手が実の親となると抵抗がある。

それにも関わらず、なぜ俺はカミングアウトをするに至ったのか。

その原因の一つとして、ある方との出会いがあった。


☆☆☆@出会い☆☆☆

その方(ここではKさんとしておく)は俺にとって、初めてできた

同じ同性愛者の友人であった。

出会いは、某ホームページの掲示板。

Kさんはそこに「友達募集」の記事を投稿しており、

俺が「友達になってください」と申し入れたのだ。

夜毎のKさんとの電話は楽しく、また、とてもドキドキするものであった。

当時の俺に自覚はなかったが、今思えば

俺は淡い恋慕感を抱いていたのかもしれない。

ちなみに、Kさんは大阪に住んでいて当時24歳。

やがて俺は、優しく、俺よりもはるかに経験豊富なKさんを、

とても信頼するようになっていた。


☆☆☆Aカミングアウト☆☆☆

そんなある日、Kさんが何かの用事で数日間愛知に来る事になった。

そして、帰宅する前夜は用事も終えていて時間が空くので、

ホテルに泊まりに来ないか、と言うのだ。

これほど嬉しい事があろうか!

これまで、あれほど胸をドキドキさせながら電話していたKさんと、

直接会えるというのだ。

俺は即座に会うと答えた。

・・・しかし、それには一つ問題があった。

すなわち、親に何と言うか。

俺の場合、友人が泊まりに来る事はあっても、友人の家に

泊まるという事は滅多にない。

故に「友達の家に泊まる」という言い訳は通用しないのだ。

そんな事をすれば「迷惑じゃないか相手の家に電話をする」などとも

言い出しかねない。

そこで俺は「センパイの家に泊まる」と言った。

これならば、親が「電話をする」と言い出しても、

「ケータイの番号しか知らない」と逃げられるからだ。

が!親は全く予想外の事を言い出した。

(父親)「夜遅いから出歩くのは危ない。行くな」

普段なら、深夜に友人と外出しても何も言わない親が、

なぜ急にそんな事を???

もしかすると、俺の言葉にウソがあるのを見抜いて

いたのだろうか。

とにかく、すっかり泊まりに行く気になっていた俺と両親は、

かなり激しく口論になった。

俺としては、何としても、Kさんに会いたくてしょうがないのだ。

口論は数十分続き・・・

気がつけば、俺は自然に、会いに行く相手はセンパイなどではなく

ネットで知り合った友人で、自分もその人も同性愛者だ、と口にしていた。

そして

「俺の気持ちをわかってくれるその人にどうしても会いたい」

と言った。

俺のその言葉を聞いた両親は、ただ驚き、そして、

父親は次第に怒りをあらわにしていった。

初めのうちはまだ冷静で

「今、お前が同性愛者だという事を責めるつもりはない。

だが、これからは治すよう努力しろ」

などと言っていたが、俺にその気が全くないとわかると

「出て行け!」

などとまで言い出した。

そして、そんな父親を必死になだめる母親。

かなり白熱化した口論がしばらく続き、結局、

その夜俺は外出禁止、同性愛に関しては後日専門のカウンセラーによって

カウンセリングでも、という事になった。


☆☆☆B家出☆☆☆

俺は自分の部屋に戻り、そして泣きながら、Kさんに電話をした。

(俺)『スイマセン・・・こういう事情で会いに行けなくなりました・・・』

(Kさん)『そっか、残念だな』

(俺)『・・・・・・』

(Kさん)『でも、これからどうする?カウンセリング受けさせられるんだろ?』

(俺)『そりゃ、そんなもの受けたくないですけど・・・』

(Kさん)『もし、ゆうたにその気があったら、家出してみたらどうだ?』

・・・・・・え?

(Kさん)『これまで家出とかした事ないだろ?それぐらいした方が、

親も、子供の気持ちをより真剣に理解しようとするぞ』

(俺)『家出・・・ですか』

(Kさん)『もし少しでも家出する気があるなら、朝、必要なものだけ持って、

とりあえず俺のところへ来な。どっちにしろ今は寝た方がいい」』

(俺)『・・・・・・』

(Kさん)『朝、7:30ぐらいまでは名古屋駅にいるから』

(俺)『・・・どうしよう』

(Kさん)『あくまで、ゆうたが気が向いたら、だ。イヤならイヤでいい』

結局、翌早朝、俺は着替えなど、必要最低限のものだけを持って、

名古屋駅に向かった。

名古屋駅でKさんと会い、そして、イロイロな事を話した。

これからどうするべきかも話したが、そう簡単に結論が出るはずもなく、

とりあえず数日間は、Kさんのもとでお世話になる事になった。

そんなわけで、数時間後、

俺は、大阪のKさんの家にいた。


☆☆☆C初体験☆☆☆

近鉄で数時間(←いや、そんなにかからなかったかな?)、

大阪に着いてからは、Kさんがイロイロな場所に連れて行ってくれた。

それほど遠くまでは行かなかったが、その珍しさと楽しさに、

俺は、自分が家出中だという事も忘れて笑っていた。

やがて、そんな長かった一日も終わって夜。

俺は、Kさんと同じベッドで寝た。

そして、初めてのSEXを経験した。

(同性愛を自覚する前、女の人とつきあっていた事もあるが、一緒に遊ぶ

だけで、そういった事は全くしなかったので、正真正銘の「初体験」)

まぁ、俺の初体験について長々と語ってしょうがないし、

恥ずかしいのでその話はここまで。


☆☆☆D帰宅☆☆☆

そんな感じで、一夜明けて、翌日。

日中は、前日と同じ様にイロイロなところに行って楽しく過ごし、

気がつけば、また日が暮れかけていた。

と、そんな時、ケータイに親から電話が入った。

(それまでも何度もかけていたらしいが、俺が電源を切っていたので)

(母親)『・・・元気?』

(俺)『ん。フツーに大阪観光を楽しんでるよ』

(母親)『何それ・・・。こっちはすごく心配していたのに』

おや?

空気を和ませるタメに言ってみたんだけど、逆効果だったかな・・・?

(俺)『で・・・何?』

(母親)『お父さんがさ、その、相手の人と話したいっていってるんだけど、

かわってくれない?』

え・・・?Kさんと?

(俺)「Kさん、俺の親が、話したいって言ってるんだけど・・・」

(Kさん)「・・・そうか」

(俺)「話してくれます・・・?」

(Kさん)「もう少し待ってくれ。親には、十分後にかけ直すって言ってくれ」

(俺)「はい」

十分後、Kさんは心の準備を終え、俺の父親と電話で話してくれた。

その内容は俺にはわからなかったが、とりあえず、電話の後、

俺は家に帰される事になった。

Kさんが俺に何と説明したかは覚えていないが、恐らく

「ずっとこのままでいても、どうしようもない」

だの

「親も理解を示そうとしている」

だのといった説明だったと思う。

その説明に、俺もそれなりに納得し、Kさんにお礼を言って

今度は一人、名古屋行きの新幹線へと乗った。

別れ際、Kさんとどんな事を話したかは覚えていない。


☆☆☆E一応終結???☆☆☆

名古屋駅に到着後、迎えに来ていた親は、いつも通りの笑顔を見せていた。

「家出少年を保護しました」などと冗談まで言うほどに。

名古屋駅から車で家に帰るまで、父親はやはり

「同性愛は治せ」といった内容の事を、もっとソフトにではあるが言っていた。

しかし、それ以後現在まで、両親ともに、その話は一切口にしなくなった。

もちろん、カウンセリングにも連れて行かれていない。

どうやら、俺が父親の話を理解して、自分から

ノーマルに戻るのを待っているらしい。

いや、あるいは、すでに理解してノーマルに戻っていると

思っているのかもしれない。

まぁ、そんなわけで「終結」はしたものの「解決」は全くしていない。

―――愛してくれているからこそ、簡単には同性愛を認められない。

わかってはいるのだが、いつか、認めてくれる日が来るのではないか、

そう思わずにはいられない。


※※※補足話※※※

はい、ここまで読んでいただいてありがとうございます。

何か、珍しく真面目な体験談だったので、テンションが狂って

最後辺り、イマイチ言葉がまとまっていません。

ってなわけで、書くことが出来なかった話をいくつか補足。

えっと、まず、大阪でKさん相手に初体験を経験した、と

書きましたが、100%最後までやったわけではありません。

って、スイマセン・・・生々しい話で・・・。

えっと、体験数をカウントするとしたら、1回ではなく

0.9回といった感じでしょうか・・・。

ま、その0.1が何かは自由にご想像を(笑)。

あと、行きは近鉄、帰りは新幹線で名古屋・大阪間を移動した

わけですが、俺がそれだけの大金を持っていたわけではありません。

行きの交通費は、Kさんが負担してくれました。

いくらだったかが覚えていませんが、本当に申し訳ない限りです。

で、最後の補足。

現在、俺はKさんと一切の連絡がとれない状態にあります。

その後、ちょっとイロイロありまして・・・。

住所は知っているので、その気になればいくらでも連絡を

とれるのですが、一度連絡を絶つとなかなか・・・。

でも、いつか、笑って「あの時はありがとうございました」と

言えたら、と思っています。